・ここではうみねこの公式掲示板の記事であるかわのほとり様の仮説「Ep4最後の謎について」をヒントにEP4の「私はだあれ」の考察の記事です。
薄い文字の部分はかわのほとり様の考察の一部であり、普通の黒字はそれを受けての私の考察です。




かわのほとり様へ
EP4の最大の謎「私は、だぁれ?」は未だにうまい解釈が見つからない難問です。なので非常に参考になります。

>  情けなくも、ならば最後に、最後という思いで、ベアトリーチェ自身が私達に問いかけた、彼女の究極の謎について私も問いのまなざしを向けたいと思います。この謎を残して、Ep4と出題編は完結し、ベアトリーチェはゲームマスターの座を退きました。そしてもはや何を語ることもなく、精神を閉ざしてしまいました。まるでもはや全てのメッセージを、私たちプレイヤーと戦人に伝え終わった、そして自らは役目を終え、全ての決着を委ねたと言わんばかりです。
>  それが事実そうなのだということは、最後の謎に対してベアトリーチェがそれを自身の「心臓」だと呼んでいることからもうかがい知ることができます。まさにそれほどにまで核心的な何かをさらけだしたからこそ、彼女は戦人に全てを委ねて沈黙することができたのです。ベアトリーチェの最内奥の真実が、そこに開き明けられているに違いありません。彼女が最後に発した最もシンプルな言葉のうちに、全てが集約されているといっても過言ではないでしょう。すなわち「私はだぁれ…?」と。

確かに「私はだぁれ?」がベアトリーチェ様自身の「心臓」だとするとこの赤き真実は避けては通れないシロモノです。EP6を前にかわのほとり様のナビゲーションを頼りにわたくしも今一度挑戦してみたいと思います。




> ・Ep4最後の謎について
>
>  ここでおさらいのためと、以下参照しやすくなるよう、当該部分を抜粋して記載しておきたいと思います。
>
> 右代宮戦人。今から私があなたを殺します。
> そしてたった今。この島にはあなた以外誰もいません。この島で生きているのは、あなただけです。島の外の存在は一切干渉できません。
> この島にあなたはたった一人。そしてもちろん、私はあなたではない。なのに私は今、ここにいて、これからあなたを殺します。

>
> 《中略》
>  すでに始まりの文章において、以下の全ての文章を統制し、あらゆる規定がそれらを中心にして、それらに向けて行われることになるような突出した3つの存在者が現れてきています。すなわち「右代宮戦人」「私」「あなた」です。そして特に“「私」が「あなた」を殺します”という、二者の最高の闘争の時空が、ここで指示されているのです。
>  ところで文脈からして、ここで「私」の呼びかけている「戦人」と「あなた」とは同一人物をさしているように見受けられますし、正しくは3つの存在者ではなく、「私」と「戦人=あなた」という2つの存在者が問題になっているのではないかという疑問を抱く人もあるかもしれません。果たしてそれほど単純に、「戦人」と「あなた」を混同していいものでしょうか?また、「私」という存在者は「戦人」や「あなた」とどのような関係の内にあり、それを単なる二項対立の一方と見なすだけでいいものなのでしょうか?
>  速断することは今は避けるべきであるとして、しかし本文はさしあたり「戦人=あなた」という図式を維持しながら規定を続けているように見えます。それに従えば「たった今」「あなた」以外誰もおらず、生きているのは「あなた」だけであり、六軒島の外の存在は一切の関与を認められないということになります。
>

なるほど。確かにEP3の南條殺しの謎は赤い壁で囲むようなものです。私たちは一見脱出不可能な壁の隙間(時間)を見つけて、そこから抜け出せばいいものでした。一方、EP4の謎は全く逆です。例えるならば手順を踏まなければ中に隠してあるものは取り出せないカラクリ細工の箱といった感じでしょうか。


> ・収束と拡散
>
>  ここですでに、南條殺しの時の赤字ラッシュとは根本的に異質な規定の方向性が現れてきていることに気づかれるでしょうか。言明の仕方は、時間性のあらゆる広がりを排除して「今」にむけて収斂し、島の外の存在の関与を無効にしているばかりか、すでに島に存在している人間が「あなた」だけであるということによって、この「あなた」の殺人に至るあらゆる主体の無を表明しています。そして同時に、殺人を許容する活動の空間も問題にはなりえないということが明らかです。「あなた」のみが存在する時空において、殺人そのものがあり得るわけがないからです。
>  これにより、私たちの問いのまなざしは「今この時」の「あなた」の存在へ向けて収束し、それ以外の要素は切り捨てられ、もはや問題になり得ません。言明は非常にシンプルな記述に向かって突進し、情報をより豊かに、付加することによって自己を肥大させ強化しようとする拡散の意思は少しも見られません。この序文には「あなた」というはっきりと見て取られた中心点があります。言明はこの存在者を開明することにのみ特化し、自己を収束させています。規定の働きは、遠近法における消尽点のように中心となる核心に向けて極度に集中し、それ故に私たちの問いのまなざしもこの中心へ向けて集約されることになります。
>
>《中略》
>
>  それでもなおその存在を主張しようとするなら、この言明は明白な矛盾に陥ります。非論理的な、一貫性のない、それ自体無意味なとるにたりないものになってしまいます。しかしながら、この言明は赤文字、つまりその内実に必ず何らかの真理性を含んでいるとされる言葉です。それを無意味無価値と断定することなく、私たちには問うことが強要されています。いったい「あなた」とは、「私」とは“誰”のことなのかと。そして二つの存在者の関係性は何なのか、と。
>  あらかじめはっきりと言えることは、ここに示されている言葉を字面だけで捉え、何の変換や深化も行わずそのまま受け取るだけであるならば、やはりそれはそのまま矛盾に陥るしかないということです。だから、ここではいずれにしろ何らかの「解釈」が必要であるということです。冒頭でも述べたように、最後の謎の赤字の形式そのものが「解釈」を必要とし、しかも「解釈」というものの本質的な二つの可能性によってそれを行うことを必要としているのです。
>

EP4の謎を「実は本来謎ではない」という考えは非常に的を得ている表現だと思います。EP3の謎は穴さえ見つければ多くの解が存在できる謎です。一方、EP4の謎はおそらく解への道が論理的に1本しかないのだと思われます。ゆえにシンプル且つ最大の謎になっているのでしょう。


> ・解釈の二つの根本的可能性
>
>  解釈とは、私たちがあるものに関わり、これを認識したり理解したりすることの根本の形式です。私たちが何かを問うとき、すでに問われているものが開明され、これに開かれているということがあり、続いて特定のまなざしのうちにこれを捉えます。このまなざしは、例えばあるものを因果連関のうちで捉え、AがBから発生するとき、BをAの原因、AをBの結果として了解すること。あるいはある命題を、もうそれ以上を問うことのできないより単純にして根本的な命題にまで還元し基礎づけるという論理学的な過程を思い浮かべることができます。
>  ここで明らかになっているのは、あるものを別のあるものとの連関から明らかにし、そのあるものからの基礎づけを行って、確かな知識体系を樹立しようとすることです。私たちはこれを通常「説明」と呼んでいます。
>  試しに、最後の謎を「説明」しながら解釈してみましょう。六軒島には今、「あなた」と「私」という二つの存在者が存在しており、闘争の関係にある。しかし島には「あなた」という人物しか存在していることはあり得ず、従って「私」は存在せず、闘争もまた存在していないことになる。即ち、現在六軒島にいるとされるこれらの存在者たちは、お互いを基礎づけるこができずに矛盾した関係に陥っている。それ故に、これらの事象を「説明する」ことは無効であると結論づけるしかありません。
>
>《中略》
>
>  しかしながら、非論理的なものは無意味無価値であり、秩序あるものは論理的なものの中にしか現成しないということを、私たちはこの千年の内のどの時点で定められてきたのでしょうか。それをここでいちいち明らかにしたいとは思いませんが、ベアトリーチェが嘲笑っているのは私たちのそういった凝り固まった近代の思考法なのではないのでしょうか。生と死、言葉と沈黙。黄金にたる真理の光と、それを受け入れて、照明の範囲をあらかじめ無限の深淵に向けて押し広げている闇。それらは矛盾し拮抗するものでありながら、お互いに本質を規定しあい、その相克のうちに世界を形成するものではないでしょうか。
>  話を「解釈」に戻します。解釈の根本的可能性の一つ「説明」は、あるものをそれ自身とは別の何かから規定する仕方でした。ならば、残された可能性は、あるものをそれ自身において明らかにすることでしかありません。事象そのものを、そのもの自身から隠れないありさまで現れさせ、ありのままに提示すること。

かわのほとり様のご推察通り「あなた」は「右代宮戦人」を指しているのはほぼ間違いないと思われます。最初は「私」が「右代宮戦人」ではないかと考えたのですが、問い的に「あなた」=「右代宮戦人」にしなければ不自然になります。
問題はやはり「私」の解釈になります。
この謎の問いは「私はだぁれ?」なのですから、おそらく解は「ベアトリーチェ様とは何なのか」ということになります。そして
そしてたった今。この島にはあなた以外誰もいません。この島で生きているのは、あなただけです。島の外の存在は一切干渉できません。
ということから、「私」を自然現象や法律、爆弾という非人間的なもので捉えるのは極めて妥当な考えかと思われます。問題は非人間的な「私」をどう具体的かつ厳密にとらえるかとなります。



> ・「あなた」と「私」。そして「右代宮戦人」
>
>  規定によれば、この六軒島には「あなた」しか存在していないはずです。だから「私」という存在者の存在は許容されない。しかし以上の前提から、事象を180度反転(対偶)させて考えてみることも可能ではないでしょうか?つまり、島内に「あなた」しか存在していないにも関わらず「私」の存在が許容されるのなら、そもそも「あなた」と「私」の存在が別異のものであるとは言えない、と。
>  ただそのように言ってしまうとすれば、当然の非難の声が上がることでしょう。「私はあなたではない」という明言がしっかりとされているからです。また「私」と「あなた」の存在が別異のものでないとすれば、「殺人」というある行為者から他者へ向かう能動態がありえないことになってしまいます。
>  「私」とは、果たして「あなた」と同一の存在なのでしょうか、別異の存在なのでしょうか?もし別異の存在なのだとすれば、彼は「あなた」しかいない島で、いったいどのようにして存在しているというのでしょうか?また同一なのだとすれば、どうして「私はあなたではない」のでしょうか?
>
>《中略》
>
>  例えば「この島にあなたはたったひとり」という文言は、現実存在を問題にしているように書かれていて混乱しやすいですが、「あなた」は本質存在としての「右代宮戦人」においては「私」とも同一の「たったひとり」と言いうるという解釈が可能です。「私はあなたではない」とは、現実的な存在としては二つの存在者は別異であるということ。
>  では、以上で述べたように「あなた」と「私」が本質存在においては同一でも、現実存在では別異であるという事態は、では現実の事件においてはどのように現れてきているだろうかという問題が残りますが、それをここで論じるのはやめ、より推理に長じた慧眼の諸氏におまかせしたいと思います。ただここでは、以上のような解釈の可能性もあるということを提示できただけで充分です。意味不明な文章をここまで読んでくださった方、どうもありがとうございました。ただとにかく、「うみねこ」が好きだという気持ちが伝わったらならいいなぁと思います(笑)。
>

ここからはかわのほとり様の仰られた収束というアイデアを使って、少し違う解釈をしていきたいと思います。
右代宮戦人。今から私があなたを殺します。
そしてたった今。この島にはあなた以外誰もいません。この島で生きているのは、あなただけです。島の外の存在は一切干渉できません。
この島にあなたはたった一人。そしてもちろん、私はあなたではない。なのに私は今、ここにいて、これからあなたを殺します。

この文章の中で存在が許されているのは「右代宮戦人」「私」「あなた」「この島」「島の外の存在」の5つ。「島の外の存在」は一切干渉出来ないので、存在しないも同然です。よって、まずはこれを除きます。存在が許されているのは4つになりました。
「右代宮戦人」と「あなた」は同一のモノと言えるので「右代宮戦人」=「あなた」
となります。これで存在が許されているのは3つ。
ならば残りの「私」を「この島」イコールで結べばバランスが取れるのではないでしょうか。つまり、「私」=「この島」。これで存在が許されているのは2つになりました。
私はあなたではない。なのに私は今、ここにいて、これからあなたを殺します。
とあることから「私」と「あなた」は相容れないと考えると、これ以上の収束は無理と考えます。この残った2つを先の赤字に当てはめてみると

右代宮戦人。今からこの島が右代宮戦人を殺します。
そしてたった今。この島には右代宮戦人以外誰もいません。この島で生きているのは、右代宮戦人だけです。島の外の存在は一切干渉できません。
この島に右代宮戦人はたった一人。そしてもちろん、この島は右代宮戦人ではない。なのにこの島は今、ここにいて、これから右代宮戦人を殺します。


「この島」が「右代宮戦人」を殺すという部分を除けば特に不自然ではありません。「私はだぁれ?」と問うているのはベアトリーチェ様のなですから、「ベアトリーチェ」=「私」。
そして「ベアトリーチェ」=「私」=「この島」となり、「ベアトリーチェ」=「この島」と言うことになります。
「私はだぁれ?」の問いの解は「ベアトリーチェ様とはこの島である」と導きだせました。
「この島」解釈、これこそが最も重要なのだと思われます。
この問いの後、戦人様は駒が降りるという形で殺されていますので、「この島」はゲーム盤自体を指すのではないかと思われます。ベアトリーチェ様がゲーム盤(=六軒島)そのモノなら「私はだぁれ?」の赤き真実は論理的にも文章的にも破綻せずに解釈できるのではないでしょうか。

右代宮戦人。今からゲーム盤が右代宮戦人を殺します。
そしてたった今。ゲーム盤には右代宮戦人以外誰もいません。ゲーム盤で生きているのは、右代宮戦人だけです。ゲーム盤の外の存在は一切干渉できません。
ゲーム盤に右代宮戦人はたった一人。そしてもちろん、ゲーム盤は右代宮戦人ではない。なのにゲーム盤は今、ここにいて、これから右代宮戦人を殺します。





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